ジャパンハートの吉岡秀人さん、どんな人?書籍から学ぶ、活動の想い

「ジャパンハートの創設者、吉岡秀人さんってどんな人なの?」
「事業にかける想いや、お人柄を知りたい!」

こんにちは、寄付ナビの鈴木大悟です。

ジャパンハートは「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に、国内外で無償の医療活動を行う認定NPO法人です。

ジャパンハートの創設者である吉岡秀人さんとはどのような人物で、どのような想いを持った医師なのでしょうか?

本日は、このような疑問を持っている方へ向けて、ジャパンハートの書籍「命を救う 心を救う 途上国医療に人生をかける小児外科医『ジャパンハート』吉岡秀人」(佼成出版社)を読んで、私が学んだことをお話ししたいと思います。

こちらの書籍は「ふじもとみさと」さんという児童文学作家の方が執筆されていて、対象年齢も小学校中学年からと、子どもでも読みやすいのが特長です。
また頁数も150ページほどで、ジャパンハートを知るための最初の一冊として最適です。

さらに本の売り上げの一部はジャパンハートに寄付されるそうです。
今日の記事を読んで、ご興味を持っていただけた方は、ぜひ実際にお手に取ってみていただけたら幸いです。

吉岡 秀人(よしおか ひでと)

  • 1995年、単身ミャンマーへ渡り医療支援活動を開始。
  • その後一時帰国し、2003年からミャンマーで活動を再開する。
  • 2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。
  • 2021年12月 「第69回菊池寛賞」受賞

「餓死寸前の子ども・・・」吉岡医師が生まれるきっかけ

テレビでアフリカの飢餓問題について知った、中学生の吉岡さん。
それがのちに吉岡さんが医師を目指すきっかけとなりました。

テレビから、「アフリカでは食料がなく、たくさんの子どもが栄養失調になっています」
その言葉に、ふと顔を上げるとーー。

すっぱだかで骨と皮だけにやせ細った子どもが、テレビ画面いっぱいにうつし出されました。
頬がこけ、ぎょろぎょろと大きい目。
ぱんぱんにふくらんだおなかは、まるでスイカが丸ごと入っているようでした。

「なんや、このすがたは?」
はじめて見る餓死寸前の人間のすがたです。
秀人くんは知らぬ間に、テレビにくぎづけになっていました。

(こんな悲惨な国があるんか……?生まれた国がちゃうだけで、こんなことになるやなんて……)

命を救う 心を救う P.19,20

この少年時代の記憶が、何度も何度も吉岡さんを支えることになります。
家族や友人など周りの人全員に大反対されても、吉岡さんは医師になるという目標を諦めませんでした。

それでも、脳裏にうかぶのは、飢餓に苦しむ子どものすがたーー。

(不幸な境遇の人たちのために医者になるんや!あきらめへんで!)

この「絶対にあきらめない」気持ちこそ、秀人くんを大きく飛躍させ、その後の人生を変えていくことになったのです。

それからの秀人くんは反対されればされるほど、挑戦への思いが強くなっていきました。

命を救う 心を救う P.26

そうして二十歳で晴れて医大生になり、猛勉強の末、無事に卒業。
医師として仕事を続けていく中で交流のあった支援団体からの依頼で、ミャンマーで医療支援活動を開始することになりました。

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寄付金控除の対象団体です

『命を救う 心を救う』を読んで、私が共感した3つのポイント

ここからは、この記事を書いている私が、本書を読んで学んだことや感じたことを共有させてください。

①病気と闘う人の”命”と”こころ”を救っている

ジャパンハートが大切にしている医療は、患者の笑顔やぬくもりが誰かの記憶に優しく残り続ける治療です。

例えば、脳の感染症で9歳から寝たきりになり、その後ご家族の献身的な支えによって、なんと28歳まで生きた女性の患者さんがいました。

ミャンマーには敬虔な仏教徒が多く、人々は生まれ変わりを信じています。
ご家族が患者さんの最期の瞬間を安心して見送るために、吉岡さんからご家族にお経をあげてほしいと依頼したのです。

入院から三週間後、いよいよ最期のときが近づいてきました。
みんなベッドのそばで見守っています。

心電図の心拍数が、1分間に20回、15回と少なくなっていき、いよいよ心臓が止まろうとしていました。

(中略)

ほかの患者さんたちも、目を閉じる人、手を合わせる人、みんな家族を送り出すこの”儀式”に、静かに心をよせていました。

そして、お経をはじめてから十分ほどたったとき、先生はいいました。
「今、亡くなりました。きっと今度は元気な体で生まれ変わってくると思います」

悲しみにゆがんでいた家族の顔に、安どの表情がうかびました。
(医療とは……こういうことなんや)
命を助けるだけではない。残された人たちの心も救う、それが、自分が目指す医療なのだ、とーー。

命を救う 心を救う P.110〜113

治療の施しようがなく、ただ死を待つしかない状況だったとしても、患者さんと残されるご家族の心を救うためにできることがあります。

「すべての人が、生まれてきて良かったと思える世界を実現する」
それが、ジャパンハートの目指すビジョンです。

②現地出身の医療従事者を育成し、地域全体の医療技術を向上

現在、ジャパンハートはミャンマー以外にも、カンボジア、ラオス、日本と活動する地域を広げています。

中でも私が注目したのは、カンボジアのジャパンハートこども医療センターです。

先進国の小児がん患者の生存率は80パーセント以上ですが、発展途上国では20パーセント未満といわれています。

その原因には、患者がまずしく医療費がはらえないことや、専門医の不足などがあります。

2016年に開設された「ジャパンハートこども医療センター」では、小児科や産科などの通常診療を行いながら、これまで医療を受けられなかった途上国の小児がん患者を受け入れ、日本の医療機関と連携して治療しています。
あわせて、現地の医療人材を育成しています。

命を救う 心を救う P.145

カンボジア人自らの手で、自国の人たちに医療を届けられるように、ジャパンハートは人材育成にも力を入れています。

医療技術の底上げが、長期的に地域医療の発展に資すると考えられているのではないでしょうか。

③海外で身命を賭して尽力する日本人医師、吉岡秀人さんへの応援

吉岡さんはミャンマーで医療支援活動を始めた当初、日本から持ってきたお金が尽きるまで人々の治療を続けられました。

「どうにか治してください」
口唇裂の子どもをかかえて、悲痛な声を上げる親たち。
つぎからつぎへと、手術を求める人々が先生の前にあふれてきます。

ところが吉岡先生は、だれひとりとして、その希望をかなえてあげることができません。
(自分はなんて無力なんや……)

(中略)

(日本の医療の常識を捨てよう。まずはやってみるんや)
ここに来た人々に救いの手を差しのべられるのは、ほかのだれでもない、自分だけだと、自身を勇気づけていったのです。

命を救う 心を救う P.49〜52

ひとり海外に渡り、資金が尽きるまで治療を続けるほど活動に情熱を燃やす方を、私は同じ日本人として支えたい、応援したいと感じました。

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最後に:あなたも「ジャパンハート」を応援しませんか?

創設者メッセージが、ジャパンハートのWebサイトに掲載されていたので、ご紹介させてください。

無数の善意の人々が この道に続いてくれることを信じています

今から26年前の1995年、初めてミャンマーで医療活動を始めた頃、貧しく医療保険もない彼らにとって、私は確かに彼らの”命の最後の砦(とりで)”だった。
あれからジャパンハートにはたくさんの医療者や仲間が集い、私は”命の最後の砦”ではなくなり、多くの仲間が砦を守る一つ一つの巌となっていた。

人生には避けて通れない難所もある。
カンボジア、小児の難病の治療が未だに困難なラオス。
そして、クーデター後医療崩壊が続いているミャンマー。
私たちが成さねばならないことはまだまだ続く。
私たちはまだ、道の途中、夢の途中。

振り返れば、無数の善意の人々がこの道に続いてくれることを信じている。

吉岡秀人

ジャパンハートHP

ジャパンハートのマンスリーサポーターは、以下から申し込めるようです。

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